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花の49年組

2013年04月05日
懐かしい名前を見ていろいろ思い出しました。走攻守揃った素晴らしい選手でした。
<引用開始>
法大・金光監督が退任…ナインからの「嘆願書」で内紛急転

東京六大学リーグ最多の44度の優勝を誇る、法大の金光興二監督(57)が退任したことが4日、明らかになった。この日、金光監督が大学側に辞意を伝え、了承された。

金光監督の去就に関しては、3日までに法大野球部員が同監督の退任を求める嘆願書を大学側に提出。金光監督の指導方針に不満を募らせ、退任を希望する選手が大半を占めていた。野球部関係者によると「不満を抱えたまま開幕を迎えることができない」との声が相次いだという。

今年1月、金光監督は野球部OB会組織「法友野球倶楽部」の意向を聞かずに現場の人事を進めたとして、一部のOBから除名を求められる騒動を起こしていた。2月下旬に同監督とOB会が都内で会談し、佐藤典人野球部長が退任することで、一度は内紛騒動の収拾を図った。同監督は2月の千葉・鴨川キャンプでも選手を指導し、この日もオープン戦でベンチから指揮を執っていた。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/04/05/kiji/K20130405005547100.html
<引用終了>
一説によれば、パワハラや暴力の類が絶えなかったとも言われてます。本当かな。とてもそうは見えない。
四年生時は主将を務めて、一番打者で二塁手だった。そのときの同期が凄い。
江川卓・佃正樹・袴田英利・楠原基・植松精一・島本啓次郎…。人呼んで花の49年組。
年は三歳上だけど、高校時代から神宮で大学野球を見ていたので、どの選手も懐かしい。
佃と楠原以外はプロに進んで活躍しました。

金光は近鉄にドラフト一位指名されたけど拒否。三菱重工に進んだ。プロに行っても相当活躍できただろうなとは思います。
堅実すぎるまでのその進路選択は、高校からの同級生であった佃正樹を間近で見ていたが故なのかなとも思いました。
佃正樹。広島商業の左腕投手。達川光男(その後東洋大→広島)とバッテリーを組んで、選抜では準優勝。夏は優勝だった。甲子園での酷使?が祟ったのか、大学以降では目だった活躍が出来なかった。
そして何よりも江川卓が同期にいたことが、彼の存在を隠してしまった。
大学卒業後に三菱重工広島に進む。社会人時代も投手として目だった成績はありません。
残念ながら2007年に病没。同期の活躍をさぞかし複雑な思いで見ていたのではないか。
佃の心境を慮って、敢えてプロには進まなかったというのはうがちすぎだろうか。
いい選手だった。これで晩節を汚したとは思いたくない。

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