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七帝柔道記

2013年04月16日
増田俊成著『七帝(ななてい)柔道記』(角川書店刊)を読了しました。
<引用開始>
「このミステリーがすごい! 」大賞出身の小説家で、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で人間の懊悩を書き2012年の大宅賞・新潮ドキュメント賞をダブル受賞した増田俊也が、圧倒的な筆力で描く自伝的青春群像小説。
主人公は、七帝柔道という寝技だけの特異な柔道が旧帝大にあることを知り、それに憧れて2浪して遠く北海道大学柔道部に入部する。そこにあったのは、15人の団体戦、一本勝ちのみ、場外なし、参ったなし、という壮絶な世界だった。
かつて超弩級をそろえ、圧倒的な力を誇った北大柔道部は連続最下位を続けるどん底の状態だった。そこから脱出し、なんとしても七帝柔道での優勝を目指し「練習量が必ず結果に出る。努力は必ず報われるはずだ」という言葉を信じて極限の練習量をこなす。
東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学、ライバルの他の七帝柔道の6校も、それぞれ全国各地で厳しい練習をこなし七帝戦優勝を目指している。そこで北大は浮上することができるのか。
偏差値だけで生きてきた頭でっかちの青年たちが、それが通じない世界に飛び込み今までのプライドをずたずたに破壊され、「強さ」「腕力」という新たなる世界で己の限界に挑んでいく。
個性あふれる先輩や同期たちに囲まれ、日本一広い北海道大学キャンパスで、吹雪の吹きすさぶなか、練習だけではなく、獣医学部に進むのか文学部に進むのかなどと悩みながら、大学祭や恋愛、部の伝統行事などで、悩み、苦しみ、笑い、悲しみ、また泣き、笑う。そしてラストは。性別や年齢を超えてあらゆる人間が共有し共感できる青春そのものが、北の果て札幌を舞台に描かれる。
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%83%E5%B8%9D%E6%9F%94%E9%81%93%E8%A8%98-%E5%A2%97%E7%94%B0-%E4%BF%8A%E4%B9%9F/dp/4041103428#_
<引用終了>
580Pを一気に読み切りました。「このミス大賞」にて『シャトゥーン ヒグマの森」で興味を持ち、次回作をずっと期待していました。それが「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」というまさかの作品で唸らされた増田俊成の最新作です。
今、柔道というとオリンピックやら暴力問題やらで喧しいばかり。でも、その柔道の流派はなぜか講道館柔道と呼ばれるものだけ採り上げられます。これが空手になると、沢山の流派と流儀に分かれていくのに。

高専柔道という流れがあります。寝技中心で、「待て」なし、「場外」なし、体重別もなく、勝敗は一本勝ちか引き分けのみという“特殊”なルールを持つ。戦前から戦後まもなくまで、講道館よりも強かったといわれる柔道です。
このルールを守り、その競技大会を年に一度だけやるのが旧帝大の七校。
すなわち東大・北大・東北大・名大・阪大・京大・九大の柔道部です。

七帝柔道:北大対東北大


読み始めたときは、これは、いけ好かない話でないか、と少し訝しく思っていました。
柔道を競技として単純に見れば、七帝大で優劣を競ったとしても強豪校の足元には決して及ばない。しかも一般に膾炙されていないルールで戦う、たこつぼのような世界です。

旧帝大とは、現在でも基本的には選ばれし人の通う学校で、出身者はエリートと自ら任じ、周りから称されうる存在です。

そういう閉じた場で、彼らが努力したり一喜一憂する行為は、ある種の倒錯した選民思想を孕んでいるのではないかと訝っていたからです。

特に新人歓迎行事を描いた第五章「恐怖の伝統行事」を読み終わるまでは、鼻持ちならないエリートの嫌らしさみたいなものがあるのかと、途中で読むのを止めようかとも思いました。

しかし、その考えはこの章を読み終えて、杞憂であり錯覚に過ぎないことを理解できました。ひたすらに直向で純粋で、でもとても格好悪い柔道部員たち・・・。
報われぬ努力と苦労と、どこまでも続くかと思われる泥濘が続きます。
汗と畳と道着の匂い、押さえ込みの重さと息苦しさがよく描かれています。
その桎梏の意味を主人公たちは必死で問いかけていきます。

そしてやがて悟る。視点を広げる、変える努力をしてこなかったのではないか、と。
主人公は、じん帯を切って病院に入院しますが、そこで様々な人たちに出会います。それまでの北大の道場と下宿と食堂を行き来していただけの自分が如何に視野が限られ、偏った考え方をしていたのかを痛感します。

「お前が付き合うのは、ああいった連中ではないだろ。北大生なら同じようなレベルの人間と付き合え、同じ社会層の人間と付き合え」と諫言する北大生の入院患者も出てきますが、彼は次のように考えるのです。

“しかし、私には、自分がエリートだと思っている中尾より彼ら彼女たち他の患者のほうがよほど魅力的だった。たまたまだったのだと私は気づきだしていた。私たち北大生は、子供の頃、たまたま勉強のできる環境を与えられただけなのだ。それだけの違いなのだ。スポーツ界のエリートだって、たまたま天賦の体格と才を得て、たまたまスポーツに打ち込める環境を得ただけなんだ。学問だってスポーツだって同じだ。他のあらゆることだって同じだ。たまたま与えられた環境や、天から貰った才能なんて誇るものでもなんでもない。大切なのは、いま目の前にあることに真摯に向き合うことなのだ。自分がいま持っているもので真摯に向き合うことなのだ。それを、私はこの一年間の北大柔道部の苦しい練習と、今回の入院生活を突き合わせるなかで反芻していた”(517Pより) 作中で、私が最も好きな箇所です。

こういうことに気づかないで、通り過ぎる人が凄く多いんですよね。

栄光とは遠いが、輝く生き方を教えてくれる一冊。ご一読をお勧めします。

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