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「論破」幻想

2013年05月25日
最近、ブログやツィッターなどの言い回しで気になる日本語がいくつかあります。個人的に引っかかるのは「~では?」という疑問文の出来損ないみたいなものです。私自身も、文章仕事で元請からこういう使い方をメールでされたことがあり、少し不愉快に思ったので返事しませんでした。

「~ではないですか?」とくればいいのにどうして端折るのだろう。受け取る側としては言い捨てられているようであまり気分のいいものではないんですよね。小ばかにされているようにもとれます。短文投稿サイトとしてツィッターが普及して以降、字数制限を理由にこの手の言い捨て文が増えているようでちょっと嫌です。

「~なわけで。」とこちらに書かれるのもちょっと嫌。それは胸の中で呟く自問ではないですか。倉本聰がテレビで使い出してから一般化してきたようです。
まあ、悪意があるわけでもないでしょうから、こちらがしぶしぶ我慢していればいいのだと思いますがそれよりもっと気になるのが「論破」とか「論破する」という物言いが一部で流行っていることです。

たとえば、ある話題で賛否両論のなかで「論破してあげますよ」「論破すればいいでしょ」「その件はとっくに論破されてるよ」とツィッターで目だって見えます。これ、まずいことだと思うのです。

単純にいえば「言い負かす」ってことなんでしょうけど、カッコウつけて言ってみたってとこか。
でもよく見ていると、論破しようとする側がやっているのは、言葉尻をとらえての揚げ足取りとか、記憶の間違いをついて、全体の論を引っくり返そうとしているとみえます。相手の意見をなんとか否定したいんでしょうね。おそらく、気に入らないことなんだろうから。

でも、そういうこと言う人って社会人経験が無いか、仕事で一定以上の成果を出した経験がないんだろうなと思われてなりません。なぜなら、一般社会で「論破」する・されるなんてことがまかり通るわけがないからです。

あることについて、相手の矛盾を衝いて、反論したとします。それで自らの正しさが証明されたとしましょう。
では、その後はどうするんでしょうか。ほうっておくのかな。では、そのとき論駁された相手は黙って従うのでしょうか。あるいは従うべきなんでしょうか?おそらく、反感を持たれたり恨まれたりすることが多いんじゃないか。
百歩譲って、理解はするかもしれない。でも、納得はしない状態になるのではないか。

そういう相手と金輪際、会うこともないならいい。でも、社会はそうそう都合よくできていない。言い負かした相手としばしばあいまみえる機会だってある。そのときに、それはそれ、と割り切って付き合うことができるでしょうか。おそらくそれはできない。

論破するという状態は、相手の尊厳を侵したり、屈辱を与えることだってある。その後のことまで考えたらそんなことは言えない筈なんです。合意とは、いろんな調整や妥協の末に出来ていることが殆どなのに、論破でそれを台無しにしてしまうこともある。
実績や成果とは、殆どが複数での合意形成によって出てくるもの。そんなこともできなくて大きな仕事ができるわけがない。

ということを、たまに若い人に向けて話しています。痛い目を見ないとこれが分からないんですね。
勝ち負けの結果だけで、世の中が出来ているわけではないんだってしばらくしてから悟る。
かくいう私もそうだったけれど。もっと賢くなりましょうよ。

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